二つの顔を持つ天才画家:ジャン・ジロー/メビウスの軌跡
フランスが誇る伝説的なバンドデシネ作家であるジャン・ジロー(1938-2012)は、「メビウス」というもう一つの顔を持つ稀有な芸術家でした。15歳でSF雑誌と出会い創作の道を志した彼は、17歳の時に経験したメキシコ滞在を創作の糧とし、その後、独創的な作風を築き上げていきました。(※バンドデシネ:フランス語圏の漫画のこと)
1963年以降、ジローさんは二つの筆名で異なる作風を確立しました。「ジャン・ジロー」名義では、40年にわたって描き続けた西部劇『ブルーベリー』シリーズで、伝統的で緻密なリアリズムを追求しました。一方、「メビウス」名義では、SF・ファンタジー作品において、即興的かつ実験的な表現を追求しました。その特徴的な描線は「メビウス線」として知られ、細密画風と簡略化された画風を自在に操り、独特の浮遊感ある世界観を生み出しました。
1975年、映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーとの出会いをきっかけに、映像作品の世界にも活動の場を広げました。『エイリアン』『トロン』『フィフス・エレメント』など、数々の名作SF映画のデザインを手掛け、その独創的なビジュアルは映画史に大きな足跡を残しました。
日本との関係も深く、1979年以降、谷口ジローさん、大友克洋さん、宮崎駿さん、手塚治虫さんなど、日本を代表する漫画家たちに多大な影響を与えました。特に「日本のメビウス」と呼ばれた大友克洋さんは、メビウスさんとの出会いを通じて独自の画風を確立しました。一方で、メビウスさんも1982年に来日した際、手塚治虫さんのアニメーションに衝撃を受け、それ以降、日本の漫画表現をヨーロッパに紹介する架け橋となりました。宮崎駿さんの作品への敬愛は特別なもので、自身の娘に『風の谷のナウシカ』にちなんで「ノウシカ」と名付けるほどでした。
その功績は世界的に認められており、アングレーム国際バンドデシネフェスティバルのグランプリをはじめ、アイズナー賞、ハーベイ賞など数々の栄誉に輝きました。2012年3月10日、73歳で逝去した際には、フランス文化相が「フランスはジローとメビウスという二人の偉大なアーティストを同時に失った」と追悼しました。
二つの名前で異なる世界を描き続けたジャン・ジロー/メビウス。その革新的な表現と豊かな想像力は、今なお世界中のクリエイターたちに影響を与え続けています。
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