大島渚とは何だったのか? 映画と闘争の軌跡
大島渚。この名前を聞いて、まず思い浮かべるのは何でしょうか。過激な政治映画の旗手でしょうか。それとも、『愛のコリーダ』で世界を騒然とさせた鬼才でしょうか。あるいは、テレビの討論番組で激高し、相手に噛みつくような姿を思い浮かべる方もいるかもしれません。どのイメージであっても、大島渚は単なる映画監督ではなく、日本映画界の「闘う知性」そのものでした。

大島渚の映画は、常に何かと闘っていました。デビュー作『愛と希望の街』(1959年)では、貧困の中でもしたたかに生きる少年を描き、新人監督ながら鋭い社会批判を投げかけました。『日本の夜と霧』(1960年)では、安保闘争に挫折した若者たちの虚無を描き、公開後すぐに配給会社から上映を打ち切られるという事件も起こっています。
彼にとって映画とは、社会を映す鏡であり、既存の価値観を壊す爆弾でもありました。1960年代には『少年』(1969年)や『新宿泥棒日記』(1969年)で家族や犯罪のあり方を問い直し、『儀式』(1971年)では戦後日本の家父長制度を批判的に描いています。彼の作品はどれも、社会の歪みや矛盾を容赦なくえぐり出していました。

大島渚の名を世界に轟かせたのが『愛のコリーダ』(1976年)です。この映画は、実在の「阿部定事件」を基に、性と死が交錯する極限の愛を描いたものでした。国内ではわいせつ罪で裁判にまで発展し、「表現の自由」と「猥褻」の境界をめぐる大論争を巻き起こしました。しかし、大島は一歩も引かず、欧州では高い評価を受けたことで日本の映画界にも大きな波紋を広げました。
この映画が示したのは、彼の持つ「タブーへの果敢な挑戦」でした。日本社会が見て見ぬふりをするものや隠蔽するものを、彼はあえてスクリーンの上にさらけ出しました。その姿勢こそが、大島渚の真骨頂だったのです。

やがて大島は、1983年にデヴィッド・ボウイを主演に迎えた『戦場のメリークリスマス』で国際的に成功し、巨匠の仲間入りを果たしました。この作品では、西洋と日本、戦争と人間、支配と服従といったテーマを交錯させ、異文化の衝突を見事に描いています。特に坂本龍一が演じたヨノイ大尉とボウイ演じるジャック・セリアズの関係は、彼の「異質なものの対話」というテーマを象徴するものでした。
大島渚は、日本映画界の「異端児」でありながら、その異端性を貫いたことで「巨匠」へと変貌した稀有な存在でした。彼の映画は、単なる娯楽ではなく、社会に対する「問い」そのものでした。彼は映画を通じて、日本の戦後社会、政治、タブーと対峙し続け、映画を「闘争の場」として活用してきました。
2003年に最後の作品『御法度』(1999年)を発表した後、病に倒れ、2013年にこの世を去りました。しかし、彼の残した作品と闘争の精神は、今も映画の中で息づいています。もし「大島渚とは何だったのか?」と問うならば、それは「映画を武器に社会を揺るがした革命児」と答えるべきでしょう。
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