2025-03-14

もし伊丹十三が生きていたら、どんな映画を作っていたでしょうか?

『マルサの女』『ミンボーの女』『スーパーの女』など、社会の裏側を鋭く描いた作品を次々に生み出した伊丹十三。1997年に亡くなってから四半世紀が経ちますが、その映画は今も色あせず、むしろ現代社会の問題を予見していたかのように感じられます。もし伊丹十三が今も生きていたら、どんな映画を撮っていたのでしょうか?

『マルサの女』では、国税査察官(マルサ)と脱税者の攻防が描かれましたが、現代ならさらにスケールが大きくなりそうです。『マルサの女 2025』。タックスヘイブンや仮想通貨を利用した資産隠し、国家レベルの脱税問題など、より巧妙になった脱税手口が題材になるかもしれません。
もし伊丹十三がこのテーマを扱うなら、舞台はグローバル企業と政府の駆け引きになるでしょう。たとえば、日本のベンチャー企業が国際的な租税回避スキームに巻き込まれ、内部告発者が命を狙われながらも正義を貫く・・・そんなスリリングな展開が想像できます。

1990年代にはなかったSNSの世界。伊丹十三が今映画を撮るなら、現代のネット社会を題材にした作品が生まれそうです。
たとえば『SNSの女』というタイトルで、表向きは華やかな生活を演出しながら、裏ではフォロワーを買ったり、企業案件でやらせレビューを請け負ったりするインフルエンサーたちの実態を描くかもしれません。
そんな中、真実を暴こうとするジャーナリストや一般ユーザーが、巨大なPR業界と対峙する物語になるでしょう。伊丹映画らしいブラックユーモアを交えながら、「SNS社会の嘘」を痛快に描いてくれそうです。

伊丹映画には、社会の理不尽と戦う女性がよく登場しました。現代の問題に目を向けるなら、テーマはブラック企業になるかもしれません。
『ブラック企業の女』。過労死、サービス残業、パワハラといった労働問題にメスを入れる作品になるでしょう。
主人公は、ブラック企業に入社したばかりの女性。彼女はただ辞めるのではなく、社内の不正を暴いて戦うことを決意します。社長や管理職のセリフには、伊丹映画ならではの皮肉がたっぷり。観客は笑いながらも、現実の企業社会の闇にゾッとさせられるような作品になりそうです。

もし伊丹十三が今もいたら、日本映画はどうなっていたのでしょうか?
伊丹十三は、エンタメと社会風刺を見事に融合させた監督でした。もし生きていたら、日本映画はもっと社会派コメディが豊富だったかもしれません。政治、経済、メディアの問題をユーモラスに、でも鋭く斬る映画を次々に作っていたのではないでしょうか。

そして、もしかすると彼の作品はNetflixやAmazon Primeで世界中に配信され、新たなファン層を獲得していたかもしれません。伊丹十三の映画が今の日本にないのは、とても惜しいことだと感じます。

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