2025-04-29

つげ義春と「ガロ」:表現の自由と制約

1960年代、日本の漫画界において「ガロ」という雑誌が登場しました。商業主義に傾きつつあった既存メディアに対して、「ガロ」は表現者に自由を与える場を目指しました。そして、その旗手となったのが、つげ義春です。

つげは「ガロ」に参加することで、それまでの娯楽色の強い貸本漫画とは一線を画した作風を打ち出しました。「ねじ式」や「ゲンセンカン主人」など、夢と現実のあわいを描く独特な作品群は、当時の読者に衝撃を与えました。明確なストーリー展開を拒み、説明を省き、理不尽な世界を淡々と描くその自由な表現は、従来の漫画の概念を大きく揺るがしました。

しかし「自由」とは、同時に孤独と困難をもたらすものでもありました。作品の内容が難解であるがゆえに、読者層は極めて限定され、商業的成功とは無縁だったのです。つげ自身も、「生活のために漫画を描く」という従来の作家像と、「表現者として自己を掘り下げる」という葛藤の狭間で揺れ動くことになりました。

さらに、完全な自由には見えない「制約」も存在しました。「ガロ」という場は形式的な制約こそ少なかったものの、「前例のないものを生み出さねばならない」という無言の期待が、作家たちに重くのしかかりました。つげ義春もその期待を強く意識し、結果として創作への疲弊を深めたのです。

つげが創作活動を次第に減らしていった背景には、こうした「自由の重み」がありました。「ガロ」は作家に枠を設けなかったからこそ、作家自身が自らを追い詰めることになったのです。表現の自由とは、単に制約を取り払うことではなく、時に作り手の内面に最も厳しい制約を生むものだといえます。つげ義春と「ガロ」の関係は、そのことを私たちに鮮烈に示しているのです。

つげ義春は、自由という言葉の光と影を、身をもって体験した作家だったのです。

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